2011年9月18日日曜日

物作りと仕事

永らく更新せず、ご心配をおかけした方もいたようで申し訳ありませんでした。自分は元気です。見た目はすっかり汚いですが(笑。髪は伸ばしっぱなし、ヒゲも何時剃ったか思い出せない。今日足のツメ見たら異常に伸びてた。どんだけ靴はいてないんだ?って位。久しぶりに切ってサッパリしました。
いよいよ今回の仕事も佳境にきました。毎年やらせてもらっている仕事が5月に終わり、直ぐにHPの仕事、そして本来なら暇な夏にたまたま旧友から入った仕事でしたが、これがハマった。いつも制約でガンジガラメな仕事をしていたんでしょう、ほぼ自由に構成からデザインまで出来た今回は何か1つの物を作っていく「喜び」を感じれた仕事でした。結果クライアントにも喜んでもらえてる様でなによりです。

自分の生活環境は起きたら10歩で仕事が出来る素敵な環境、それこそ起きた瞬間から寝る寸前まで没頭出来る状態で、そこに「喜び」が加わってしまうと歯止めが効かない。それこそここ2ヶ月強、寝る時間を無視して向き合ってきました。絵と文を組み合わせるだけではない、どうやってこの本を見せるのか?そもそもこの本は一体何なのか?から始まって、各ページに世界観をもたせながら、しまいには自分で文章まで書いて…。
また、マニアックな物で広く広まらないとは思いますが、それが好きな人に喜んでもらえたら幸せな気分でしょうね。でケチョンケチョンにやられたりして(笑。何しろ相手はマニアだからね。

自分の場合、趣味と仕事、オフィシャルとプライベートの境目が曖昧で、会社から帰ってきたら良いパパだったり、背広と部屋着でTPOを切り替えたりは全くできていません。今年の夏休み、子供たちを結局何処にも連れて行かず休んだ覚えすらない。強行軍で箱根に一泊しただけ。

じゃあそれが忙しくてしんどかったかというと全くそんな事はなく、本当に集中できていた。それでお金がもらえる仕事は本当に幸せだな、と思います。
結局、お金はもらえるが仕事が「遊び」感覚と全く変わらないんでしょうね、自分は。だからアホみたいな事やらされると苦痛でしょうがない。みなさんも遊びで楽しくない事はしないでしょ?自分はおそらく子供と一緒で「お仕事」として割り切る事が中々出来ない。こうした方がいいだろうというのが自分で解っているのに、それをあえてやらないのは本当に虚しさを感じます。自分が絶対正解では無いのは解ってますが、自分なりの正解をつまらない事で否定されるのはイヤなもんです。そして余りにもそういう物が多すぎる。「それが仕事だ」と言う人もいるでしょう。しかしそれが我慢出来ないのが自分なんです。
本当に世の中の働いている人はエラいと思う。「お仕事」として割り切って働けるのは本当に大人だな。仕事と余暇を分けられるのは立派な社会人だと思う。そりゃ仕事が楽しくてしょうがない人も沢山いると思いますけどね。

この仕事が終わると直ぐに別の本に取りかかります。
ある知人の本なのですが、その方はガンで余命半年と宣告されました。実は半年前にほぼ完成していた物なんですが、ある理由でその時は刷る事が出来ず保留になってました。しかしそんな理由から完成度をグッ!と上げて、知人の生きた1つの小さな小さな証に出来ればいいなと思うのです。出来るだけ一緒に考え、そして出来るだけ目指す方向を同じにしていい物が残せたら…。それが出来たら自分は幸せです。そしてその気持ちを知人と分け合えたら良いなと思っています。自分が出来るのはそれしかないですし…。